2011年01月03日
品井沼干拓とわらじ村長鎌田三之助
品井沼干拓地
息子が品井沼の干拓史を、学校で習ったそうなので
品井沼干拓史を辿る歴史の道探検に行ってきました。
とりあえずは、品井沼干拓地からスタート!
なにもない、ただの田んぼ・・・昔、この辺りは品井沼でした。
今は、稲田に変わってます。この辺は遊水地にもなっていて
大雨が降ると、鶴田川から越流堤(わざと堤防を低くして水を遊水地に流し込む堤)から
遊水地と河川の水を流入させます。
息子が品井沼の干拓史を、学校で習ったそうなので
品井沼干拓史を辿る歴史の道探検に行ってきました。
とりあえずは、品井沼干拓地からスタート!
なにもない、ただの田んぼ・・・昔、この辺りは品井沼でした。
今は、稲田に変わってます。この辺は遊水地にもなっていて
大雨が降ると、鶴田川から越流堤(わざと堤防を低くして水を遊水地に流し込む堤)から
遊水地と河川の水を流入させます。
吉田川サイフォン
品井沼のさらなる干拓の為、吉田川を品井沼から切り離し
その他の品井沼に流れる水を鶴田川ににまとめ
高城川を通じて松島湾に排出するため
吉田川の下をサイフォンで通す工事が昭和に15年に完成
鶴田川は、吉田川の下をくぐると高城川と名前が変わる珍しい河川になっています
吉田川サイフォンが通る少し下流側に掛かる品井沼大橋には
鎌田三之助扇の顔がプレートになって飾られています。
吉田川サイフォンの出口側
※画像はクリックすると大きくなります
出口側は、高城川の上流端になっています。
明治潜穴
明治潜穴の上流側
明治潜穴は明治排水路の一部で水路の一部がトンネル(潜穴)になっており
長さは1,309mあります。品井沼から松島湾まで約6.9kmあるので
排水路の約2割が潜穴になっています。
現在の潜穴は宮城県沖地震で崩れたため、昭和時代に改修されています
下流側
下流側には、説明書があり詳しく知りたい人には
親切なシステムになってます。
※画像はクリックすると大きくなります
元禄排水路の方はまた暇なときに書きます
品井沼のさらなる干拓の為、吉田川を品井沼から切り離し
その他の品井沼に流れる水を鶴田川ににまとめ
高城川を通じて松島湾に排出するため
吉田川の下をサイフォンで通す工事が昭和に15年に完成
鶴田川は、吉田川の下をくぐると高城川と名前が変わる珍しい河川になっています
吉田川サイフォンが通る少し下流側に掛かる品井沼大橋には
鎌田三之助扇の顔がプレートになって飾られています。
吉田川サイフォンの出口側
※画像はクリックすると大きくなります
出口側は、高城川の上流端になっています。
明治潜穴
明治潜穴の上流側
明治潜穴は明治排水路の一部で水路の一部がトンネル(潜穴)になっており
長さは1,309mあります。品井沼から松島湾まで約6.9kmあるので
排水路の約2割が潜穴になっています。
現在の潜穴は宮城県沖地震で崩れたため、昭和時代に改修されています
下流側
下流側には、説明書があり詳しく知りたい人には
親切なシステムになってます。
※画像はクリックすると大きくなります
元禄排水路の方はまた暇なときに書きます
タグ :河川
Posted by きゃっぽり~にょ おおかみ at 21:25│Comments(2)
│日記
この記事へのコメントm(_ _)m
我輩も小学校の時に、概要だけは習いましたね〜
確か、干拓工事中に、明治天皇が行幸が有って立ち寄った…
と言ってもお召し列車の中からだそうだが。(苦笑)
当時の東北本線は、今の松島を通る海側線では無く、
利府から松山に抜ける、山側線(現在は利府線、利府以北は廃線)だった様ですし。
鉄道史の側面から見てみるのも面白いかも知れませんね。
確か、干拓工事中に、明治天皇が行幸が有って立ち寄った…
と言ってもお召し列車の中からだそうだが。(苦笑)
当時の東北本線は、今の松島を通る海側線では無く、
利府から松山に抜ける、山側線(現在は利府線、利府以北は廃線)だった様ですし。
鉄道史の側面から見てみるのも面白いかも知れませんね。
Posted by 黒猫伯爵 at 2011年01月07日 06:25
>>黒猫伯爵さん
本線が利府から松山を通っていたのは初耳です!
本線が利府から松山を通っていたのは初耳です!
Posted by きゃっぽり~にょ おおかみ at 2011年01月08日 17:25